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四十六

内田 樹

大人になるための本

 


●内田 樹さんエッセイ
「大人になるための本」

 「大人になるための本」というテーマで選んでみました。  
 「大人になるために読むべき本」というのはどういう本でしょうか。条件はわりと簡単です。それは「どうふるまうのが適切であるかがわからない状況に際会したときに、適切にふるまうことを要請され、それに応えた人のお話」です。
 子どもたちは「こういう場合にはどうすればいいか」ということの一覧表をまず暗記させられます。そのリストが長くなるほど、対応できる状況の種類はふえてきますから、「社会的能力」が高まったというふうに評価されはしますけれど、残念ながら、それは「大人になった」とか「成熟した」ということとは種類の違うことです。「大人」と「子ども」の違いは、子どもは「やりかたのわかっていること」しかできないけれど、大人の条件は「どうふるまったらよいのかわからないときにも適切にふるまうことができる」ということにあります。言い換えると、「こういう場合には何をすればいいのかを示すマニュアルやガイドラインがないときにも、最適選択ができる」ということです。どうやったらそんなことができるのでしょう。論理的には不可能です。でも、実践的には別にむずかしいことではありません。「判断を保留する」「両方の言い分のナカを取る」「誰か最適なソリューションを知っていそうな人を探して答えを訊き出す」「いきなり土下座して、問題を『なかったこと』にしてもらう」などなど。これらに共通するのは「問いとそれに対する単一の正解」というスキームそのものを「揺り動かす」ということです。
 なんだ、簡単じゃないかと思われますか?いや、けっこうむずかしいですよ。要は「揺り動か」せればそれでいいわけですけれど、それはしばしば堅牢な構築物を棒きれ一本で「揺り動かす」ようなタイトな条件を要求します。アルキメデスは「われに支点を与えよ。しからば地球を動かしてみせよう」と豪語しましたけれど、「レヴァレッジ」(梃子装置)という言葉はこういうときにこそ使いたいですね。
 「ピンチ」とは出来合いの「問題と解法」のスキームでは打つ手がない状況のことです。状況そのものを揺り動かさないと「取り付く島」がない。そういう場合に手持ちの棒きれ一本でなんとかしようと思ったら、「われに支点を与えよ」というしかありません。
 「大人」とはこの堅牢な構築物を一押しで揺るがすことのできるような「梃子の支点」を直感的に探り当てることのできる人のことです。あるいは、そのための能力開発に惜しみなく人間的リソースを投じ続けてきた人です。そのような能力は「構築物」の内側(私たちが平時において住みなじんでいる“システム”のことです)においてはふつう評価の対象にはなりません。だから、“システム”の内部での相対的な競争(ラット・レース)で優位に立つこと、同類たちとの「勝ち負け」に血道を上げている「子ども」たちは決して、そのような能力の開発に資源を投じません(この場合の「子ども」というのは、もうおわかりでしょうけれど、生物学的な年齢とは関係ありません)。今回私が選んだのは、“システム”を揺り動かす「レバレッジ」を求め続けた「大人」たちの書きものです。
 第一に挙げるのは、幕末の卓越した器量人たちの群像劇である司馬遼太郎の『竜馬がゆく』(文春文庫)。
 明治の人の話はスケールが大きいです。それも当たり前で、「帝国主義列強による植民地化」が焦眉の急にまで迫っていたからですね。でも、その時代に「帝国主義列強」の実相を知っていた人間なんかほとんど存在しなかったのです。彼らはまさに“システム”外から到来する未知の危機に対処すべく知力の限りを尽くしたのです。エイリアンと戦う地球防衛軍のようなものです。坂本竜馬、勝海舟、小松帯刀、後藤象二郎、中岡慎太郎、高杉晋作といった先人たちの事績を通じて、真の胆力と炯眼がいかなるものかを学ぶことは「大人になるため」のたいせつな仕事です。
 同じ理由から森銑三の『明治人物閑話』(中公文庫)を次に出します。ぜひ読んで欲しいのは成島柳北の事績を記した二つのエッセイです。柳北は将軍侍講の奥儒者でありながら洋学に造詣深い大知識人であったが、維新後隠居して世外の身となり無用の文を草して生涯を終えました。
 その『柳橋新誌』(岩波文庫)は要するに芸妓たちの「品定め」です。柳北本人の言葉によれば「事の猥褻、正人君子をして之を読ましめば、乃ち将に唾して棄てんとす焉」というもの。けれども、色情を叙して明治初年の日本社会の俗を諷し、纏綿たる江戸情緒を懐旧するに底知れぬ強記博覧をもってする風儀のうちにこそ柳北先生の「粋」はあります。
 「粋」といえば九鬼周造『「いき」の構造』(岩波文庫)。「粋」とは何か?それは「粋とはこれこれのものです」という一般化・定式化の欲望のありようそのものを「野暮」とみなすような精神の節度のことである。「粋」は着物の着付け、三味線の音階、遊里の作法などのうちに具体的にしか存在しません。そこに「共通する構造」を見出し、「美的価値を構成する条件をリストアップする」ことをめざす人間は要するに「子ども」だと九鬼は言うのです。怖いですね。
 大人の世界に参入するためには「粋筋」の話柄だけではなくて、「大人しかできない問題解決法」についても学ばなければなりません。日本の大人たちはどうやって「解決不能の問題」を解決してきたのかという興味深い主題を集中的に扱った希有の書物として、川島武宜『日本人の法意識』(岩波新書)を挙げておきます。私はこの本を二十代の半ばくらいで読みました。「世の中にはこんなに頭のいい人がいたのか・・・」と私はびっくりしました。私に理解できない複雑怪奇なことを書く大人はいくらもいましたけれど、「私に理解できない複雑怪奇なこと」を私にも理解できるように切り裂く川島先生の知性の筋目の正しさと教育的な構えに感動したのです。
 頭がいい人の書いたものを読むことは、高性能の自動車を運転したり、刃の切れ味のよい包丁で調理したりするのと似た種類の生理的快感をもたらします。「頭がいい人の書いたものを読むのは気持ちがいい」ということを子どもが早い時期に知ることは教育的にはたいへん効果的です。
 そういう種類の「気持ちの良さ」をつねに保証してくれる卓越した知性と言えば、近現代ではカール・マルクス、ジグムント・フロイト、クロード・レヴィ=ストロースにとどめを刺すでしょう(みんなユダヤ人だというのがすごいです)。
 レヴィ=ストロースは論文を書き始める前には必ず書棚からマルクスの本を取り出して数頁読んだそうです。バイクのエンジンをかけるときに「キック」するような感じなんでしょうね。
 そのレヴィ=ストロースが「頭がよくなる本」としてお薦めしてくれているのはマルクスの『ルイ・ナポレオンのブリュメール18日』。150年も経った今からなら当時のマルクスの分析の瑕疵を言い立てることは可能でしょうけれど、事件が起きつつあったそのど真ん中で、断片的でかつイデオロギー的バイアスのかかった情報しか与えられていない状況でこれだけ見通しのひろびろとした「ビッグ・ピクチャー」を描ける構成的知性を私たちのまわりに今見いだすことができるでしょうか?「風呂敷はでかい方がいい」というのは私がマルクスから学んだ多くの知見のうちの一つです。
 そのレヴィ=ストロースの本を一冊挙げるなら『悲しき熱帯』。レヴィ=ストロースの端正で論理的な文章は私にとって範例ですけれど、文体のみならず、この人の悪口の言い方はもう「神技」と申し上げてよろしいでしょう。斬られた方が斬られたことがわからないくらいに切れ味がいいんですから。『悲しき熱帯』も悪口満載ですけれど、ほんとにみごとなものです。
 「大人になるための本」というようなタイトルでしゃあしゃあとものを書く人間は(私も含めて)まだ十分に大人になっていないと断じてよろしいと思います(「あなたもこれで大富豪になれる」というような本を書く人間に大富豪がいたためしはありませんからね)。でも、そういう「まだ十分に大人になってない人」の本も、「中二階」みたいな感じで、有用です。 「中二階大人」はどういうわけかアングロ・サクソン畑に多いですね。その代表としてカール・ポッパー『開かれた社会とその敵』とフリードリヒ・ハイエク『隷従への道』を挙げておきます。
 「中二階大人」の特徴は「ちょっと怒りすぎ」と「ちょっと正論言いすぎ」いうところです。でも、かりかり怒って正論を吐く人の言というのも、私はわりと好きです。梅雨時なんかに読むと、すがすがしい気分になれます。
 最後にきわめつけの「大人の本」をご紹介します。エマニュエル・レヴィナス『困難な自由』です。自分が訳しているので、ちょっと売り込みするのは気が引けるんですけれど、私がこれまで読んだ中でもっとも成熟した精神によって書かれたテクストです。いくら哲学的知識があっても、頭の回転が速くても、レヴィナスのテクストは理解できません。読み込むためには、身銭を切って人生経験を積む他ありません(人を愛したり、憎んだり、信じたり、裏切られたり、結婚したり、子どもを育てたり、つらい仕事をしたり、路頭に迷ったり・・・)。その意味で、これほど教育的な書物を私は他に知りません。

 

【内田 樹】


●内田 樹さんプロフィール

内田樹さん(うちだ・たつる)
神戸女学院大学教授。

1950年、東京都生まれ。東京大学文学部フランス文学科卒業。東京都立大学大学院博士課程中退。東京都立大学人文学部助手、神戸女学院大学文学部 総合文化学科助教授を経て、96年より現職。専門はフランス現代思想、武道論、映画論など。『寝ながら学べる構造主義』(文春新書)、『下流志向』(講談社) 、『村上春樹にご用心』(アルテスパブリッシング)、『ひとりでは生きられないのも芸のうち』(文藝春秋)、『こんな日本でよかったね』(バジリコ)など著書多数。 2007年、『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)で、小林秀雄賞受賞。




●内田 樹さん選書リスト

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1.
竜馬がゆく

竜馬がゆく

司馬遼太郎 / 文藝春秋
1998/09出版
ISBN : 9784167105679
446p 15cm
¥660(税込)
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2.
竜馬がゆく

竜馬がゆく

司馬遼太郎 / 文藝春秋
1998/09出版
ISBN : 9784167105686
441p 15cm
¥660(税込)
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3.
竜馬がゆく

竜馬がゆく

司馬遼太郎 / 文藝春秋
1998/09出版
ISBN : 9784167105693
430p 15cm
¥660(税込)
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4.
竜馬がゆく

竜馬がゆく

司馬遼太郎 / 文藝春秋
1998/09出版
ISBN : 9784167105709
425p 15cm
¥660(税込)
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5.
竜馬がゆく

竜馬がゆく

司馬遼太郎 / 文藝春秋
1998/10出版
ISBN : 9784167105716
430p 16cm
¥660(税込)
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6.
竜馬がゆく

竜馬がゆく

司馬遼太郎 / 文藝春秋
1998/10出版
ISBN : 9784167105723
437p 16cm
¥660(税込)
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7.
竜馬がゆく

竜馬がゆく

司馬遼太郎 / 文藝春秋
1998/10出版
ISBN : 9784167105730
426p 16cm
¥660(税込)
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8.
竜馬がゆく

竜馬がゆく

司馬遼太郎 / 文藝春秋
1998/10出版
ISBN : 9784167105747
441p 16cm
¥660(税込)
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9.
明治人物閑話

明治人物閑話

森銑三 / 中央公論新社
2007/11出版
ISBN : 9784122049444
343p 15cm
¥899(税込)
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10.
画像は準備中です

柳橋新誌

成島柳北 / 岩波書店
1987/11出版
ISBN : 9784003111710
101p 15cm
¥420(税込)
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11.
「いき」の構造

「いき」の構造

九鬼周造 / 岩波書店
1979/09出版
ISBN : 9784003314616
211p 15cm
¥588(税込)
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12.
日本人の法意識

日本人の法意識

川島武宜 / 岩波書店
1993/01出版
ISBN : 9784004100430
203, 18cm
¥735(税込)
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13.
ルイ・ボナパルトのブリュメ−ル18日「初版」

ルイ・ボナパルトのブリュメ−ル18日「初版」

カルル・ハインリヒ・マルクス / 平凡社
2008/09出版
ISBN : 9784582766493
317p 17cm
¥1,575(税込)
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14.
悲しき熱帯

悲しき熱帯

クロ−ド・レヴィ・ストロ−ス / 中央公論新社
2001/04出版
ISBN : 9784121600042
33,3 18cm
¥1,522(税込)
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15.
悲しき熱帯

悲しき熱帯

クロ−ド・レヴィ・ストロ−ス / 中央公論新社
2001/05出版
ISBN : 9784121600073
449p 18cm
¥1,627(税込)
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16.
開かれた社会とその敵

開かれた社会とその敵 第1部

カ−ル・ポパ− / 未来社
1980/03出版
ISBN : 9784624010522
371, 21cm
¥4,410(税込)
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17.
開かれた社会とその敵

開かれた社会とその敵 第2部

カ−ル・ポパ− / 未来社
1980/06出版
ISBN : 9784624010539
390, 21cm
¥4,410(税込)
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18.
隷従への道

隷従への道 全体主義と自由

フリ−ドリヒ・アウグスト・フォン・ハイエ / 東京創元社
1992/07出版
ISBN : 9784488013035
322p 19X13cm
¥2,625(税込)
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19.
困難な自由

困難な自由 ユダヤ教についての試論

エマニュエル・レヴィナス / 国文社
2008/09出版
ISBN : 9784772005241
392p 20cm
¥4,200(税込)
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20.
大人のいない国

大人のいない国 成熟社会の未熟なあなた

鷲田清一 / プレジデント社
2008/10出版
ISBN : 9784833418881
115p 20cm
¥1,200(税込)
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総理大臣が職を放り出す。企業が消費者にウソをつく。
ひどい日本になったものだ。いったい誰が悪いのか?
責任者出てこい!どうにかしろ!
でも、いつまで待っても責任者は出てこない。
今起きていることすべての原因をつくった「ザ・責任者」
なんて、もとよりどこにもいないのだから。
うまくいっていないのは、いつも他の誰かのせい。
そうやって常に被害者として発言するのは「子ども」である。
世の中は、矛盾していて、中途半端で、本来的に不全である。
それを乗り越えていく力を備えているのが本当の大人であり、
そういう大人を育てることが社会の役割ではなかったか。
時代を鋭く見つめる哲学者二人が
“成熟社会の未熟な大人”に「当事者責任」を問う一冊。

幼稚なふるまいが通る社会というのはしかし、皮肉にも
成熟しているのかもしれない
」(鷲田)

しかし、この『子どもだけでも経営できるシステム』が
不調になったときに、いったい『誰が』メンテナンスを
引き受けるのか
」(内田)

(プレジデント社 書籍編集部 中嶋愛)

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